2010.12/02(Thu)
「生・佐々木さん」
私が生で始めて佐々木さんのお姿を見たのは18才くらいだと思う。
場所はデパートの屋上でのイベント・・銀座の三越だと思うが定かではない。
ただ家から電車1本で行ける所だったので、イベントは13時始まりなのに始発で行ったのを覚えている。
ちなみのこの情報をどこでどのように掴んだのかは覚えていない。
今のように放映前からアニメ誌で紹介される時代ではなかった。「ヤマト」が再放送で注目され、やっとアニメが好きな人達が大勢いる、と認識し始められた時代だ。(アニメブームはこのヤマトからだと思っている人が多いが、私はその前のトリトンからだと思う)
人が集まるのかな、と思って行ってみると・・まだ開店前のドアの前にズラーーと同年配の女の子達が並んでいた。(並んでいたのは地下入り口前だったと思う)
イベント開始までまだ7、8時間あったがおしゃべりしたい年頃でもあり、友人やたまたま現地で知り合った子たちとワイワイ盛り上がり、待ち時間も苦にならなかった。
しかしこの日は大雨で屋上でのイベントは中止。その代わりに階段の踊り場でサイン会と握手会だけは実施してくれた。
一歩一歩階段を上がり、やがて目の前の机の向こうに佐々木さんの姿が見えた。狭い踊り場なので、あの「功笑い」が大きく響く。座っていらしたが、体の大きな方だとわかった。
もちろん親しくお話するなんて事はない。サインを貰い握手して・・・そのあまりに暖かく大きな手にびっくりして(中・高と女子校育ちなの)思わず「大きい!」と叫んでしまった。
その無作法に佐々木さんはちょっと驚いたように目を見開いたが(そう、よく見る、あの目です)恥ずかしそうに微笑んでくださった。(と、思っている)
イベント(?)はあっという間に終わり、しかし佐々木さんの後を追うなんて事もせず、興奮冷めやらずの乙女たちはデパート内をウロウロし、今日の記念にと私は陶器の人形を買った。(なんで陶器?アニメグッズなんてなかったのよ)
かくして私の楽しい佐々木さん追っかけの日々が始まった。
しかし・・「思う」が多いなあ。30ン年も前の事なのでお許しを。
場所はデパートの屋上でのイベント・・銀座の三越だと思うが定かではない。
ただ家から電車1本で行ける所だったので、イベントは13時始まりなのに始発で行ったのを覚えている。
ちなみのこの情報をどこでどのように掴んだのかは覚えていない。
今のように放映前からアニメ誌で紹介される時代ではなかった。「ヤマト」が再放送で注目され、やっとアニメが好きな人達が大勢いる、と認識し始められた時代だ。(アニメブームはこのヤマトからだと思っている人が多いが、私はその前のトリトンからだと思う)
人が集まるのかな、と思って行ってみると・・まだ開店前のドアの前にズラーーと同年配の女の子達が並んでいた。(並んでいたのは地下入り口前だったと思う)
イベント開始までまだ7、8時間あったがおしゃべりしたい年頃でもあり、友人やたまたま現地で知り合った子たちとワイワイ盛り上がり、待ち時間も苦にならなかった。
しかしこの日は大雨で屋上でのイベントは中止。その代わりに階段の踊り場でサイン会と握手会だけは実施してくれた。
一歩一歩階段を上がり、やがて目の前の机の向こうに佐々木さんの姿が見えた。狭い踊り場なので、あの「功笑い」が大きく響く。座っていらしたが、体の大きな方だとわかった。
もちろん親しくお話するなんて事はない。サインを貰い握手して・・・そのあまりに暖かく大きな手にびっくりして(中・高と女子校育ちなの)思わず「大きい!」と叫んでしまった。
その無作法に佐々木さんはちょっと驚いたように目を見開いたが(そう、よく見る、あの目です)恥ずかしそうに微笑んでくださった。(と、思っている)
イベント(?)はあっという間に終わり、しかし佐々木さんの後を追うなんて事もせず、興奮冷めやらずの乙女たちはデパート内をウロウロし、今日の記念にと私は陶器の人形を買った。(なんで陶器?アニメグッズなんてなかったのよ)
かくして私の楽しい佐々木さん追っかけの日々が始まった。
しかし・・「思う」が多いなあ。30ン年も前の事なのでお許しを。

2010.11/17(Wed)
「真夏の夜の夢」
「ごきげんよう」でささきさんが言ってらしたミュージカル中のハプニング(か?)ってどの舞台だったんだろう。
私はいくつか観劇したが思い当たる事はない。とにかく佐々木さんばかり見ていたので見逃すはずはないと思うが・・・。
もちろん、観ていない舞台もある。
’75年の夏に帝国劇場で上演された「真夏の夜の夢」もそのひとつだ。
当時高校生だった私に帝劇は敷居が高かった。と、言うよりもこの年の夏休みはとても忙しかったのだ。
夏期講習に夏期施設(10日間の北海道!)クラブの合宿などなど・・・。
このただでさえ忙しい夏休みに文楽観劇の学校行事まであったのだ。
場所は国立劇場だったので、家からは1本で行ける国鉄(現:JR)有楽町駅から行く事にした。
・・ん?有楽町・・?そこはもしや・・。
電車を降りたとたん「真夏の夜の夢」の大きな看板が!
もちろんデミトリアス役の佐々木さんのお姿もしっかり載っている!
ひぇぇ~~!
これを横目に足は逆方向に向けなければならない、この辛さ!
駅を出た。またあった。あちこちに写真入りのポスターが。
ほ、欲しい・・・。
アニメ好きで知られているものの、佐々木功ファンである事は2、3人の友人しか知らなかった。
ポスターを見ながらワナワナと震える私に、その他の友人は「さすが演劇部。文楽よりお芝居が観たいんだ」と納得されてしまった。
み、観たいのよ~、佐々木さんを!
む、無理・・・。
真実を知る友人に手を引っ張られ(笑ってたな、あやつら)泣く泣く帝劇に背を向けた。
文楽はおもしろかった。観て正解だった。が・・・。
帰り道にまたワナワナしたのは言うまでもない。
私はいくつか観劇したが思い当たる事はない。とにかく佐々木さんばかり見ていたので見逃すはずはないと思うが・・・。
もちろん、観ていない舞台もある。
’75年の夏に帝国劇場で上演された「真夏の夜の夢」もそのひとつだ。
当時高校生だった私に帝劇は敷居が高かった。と、言うよりもこの年の夏休みはとても忙しかったのだ。
夏期講習に夏期施設(10日間の北海道!)クラブの合宿などなど・・・。
このただでさえ忙しい夏休みに文楽観劇の学校行事まであったのだ。
場所は国立劇場だったので、家からは1本で行ける国鉄(現:JR)有楽町駅から行く事にした。
・・ん?有楽町・・?そこはもしや・・。
電車を降りたとたん「真夏の夜の夢」の大きな看板が!
もちろんデミトリアス役の佐々木さんのお姿もしっかり載っている!
ひぇぇ~~!
これを横目に足は逆方向に向けなければならない、この辛さ!
駅を出た。またあった。あちこちに写真入りのポスターが。
ほ、欲しい・・・。
アニメ好きで知られているものの、佐々木功ファンである事は2、3人の友人しか知らなかった。
ポスターを見ながらワナワナと震える私に、その他の友人は「さすが演劇部。文楽よりお芝居が観たいんだ」と納得されてしまった。
み、観たいのよ~、佐々木さんを!

む、無理・・・。
真実を知る友人に手を引っ張られ(笑ってたな、あやつら)泣く泣く帝劇に背を向けた。
文楽はおもしろかった。観て正解だった。が・・・。
帰り道にまたワナワナしたのは言うまでもない。
2010.11/11(Thu)
「むかしばなしの始まり」
「ごきげんよう」「メレンゲの気持ち」などに出演されたささきいさおさんは、芸能生活50周年を記念して50年間の思い出話などを披露されている。
さすがに50年のお付き合いはないが、お話を聞いているうちに私が佐々木さんを追いかけていた当時の事を思い出した。
特に20才前後の数年間は、行ける限り佐々木さんのイベントかガッチャマンの上演会に出向いていた。
もう子どもではなく、しかしまだ学生だったので時間はたっぷりあり自由に行動できた。
始発でイベント会場に行ったり、週イチでラジオの深夜番組を手伝って朝帰りしたり・・・うーん、若かったなあ。
その頃の事を思いつくまま綴ってみようと思う。
だが当時の日記(書いていたっけ?)や資料は今手元にないので、年日が前後したり記憶違いな事もあるだろう。
もし「それは年代的におかしいのでは?」と思われたらぜひお知らせください。
もっとも私はごく一般的なファンのひとりにすぎなかったので、そんな大層な話があるわけではない。佐々木さんのイベントに必ず付き添う「親衛隊」のおねーさま方ならもっとたくさんの思い出があるだろうなあ、と羨ましい。
まあ、こんなファンもいたんだよ、ぐらいの気持ちで書こうと思う。
その他の「昭和むかしばなし」もちょっとある。
「ごきげんよう」の1日目(11月5日)に「歌詞を忘れてしまう時がある─」と話してらしたささきさん。確かイベントの時も・・・と、その時の事を書こうと思っていたら3日目(11月9日)にささきさん自らそのお話を。
きゃ~、ネタばらしになる~、やめて~と一人叫んでいた私。(←勝手だ)
まあ、いいや。ちょっと書いておこう。
確かにアニメの歌詞なんて似たり寄ったりだ。今でこそ、とてもアニメの主題歌とは思えないおしゃれなもの(?)があるが、当時はやはり「地球を」や「守れ」「戦え!」といった歌詞が多かった。
だから「青い地球」なのか「緑の地球」なのかわからなくなる、というのも頷ける。
が、そこはプロ。わからなくなってもとにかく〝歌う〝のだ。
だから時々1番と2番が混じったり、♪らららーらら・・♪なんて事になるが・・・しかし詰まって歌えなくなったのを聞いた事はない。(客席にマイク・・は、たまーにあったな・・)
そのうちなんのつもりか、歌詞カードを持ってきて佐々木さんが歌っている真ん前で歌詞を確かめている人も出て来た。
ご本人には悪意はないのだろうが、「歌いにくいなあ」と笑いながら言う佐々木さん。
正直、失礼だと思ったのは私だけではなかったと思う。
さすがに50年のお付き合いはないが、お話を聞いているうちに私が佐々木さんを追いかけていた当時の事を思い出した。
特に20才前後の数年間は、行ける限り佐々木さんのイベントかガッチャマンの上演会に出向いていた。
もう子どもではなく、しかしまだ学生だったので時間はたっぷりあり自由に行動できた。
始発でイベント会場に行ったり、週イチでラジオの深夜番組を手伝って朝帰りしたり・・・うーん、若かったなあ。

その頃の事を思いつくまま綴ってみようと思う。
だが当時の日記(書いていたっけ?)や資料は今手元にないので、年日が前後したり記憶違いな事もあるだろう。
もし「それは年代的におかしいのでは?」と思われたらぜひお知らせください。
もっとも私はごく一般的なファンのひとりにすぎなかったので、そんな大層な話があるわけではない。佐々木さんのイベントに必ず付き添う「親衛隊」のおねーさま方ならもっとたくさんの思い出があるだろうなあ、と羨ましい。
まあ、こんなファンもいたんだよ、ぐらいの気持ちで書こうと思う。
その他の「昭和むかしばなし」もちょっとある。
「ごきげんよう」の1日目(11月5日)に「歌詞を忘れてしまう時がある─」と話してらしたささきさん。確かイベントの時も・・・と、その時の事を書こうと思っていたら3日目(11月9日)にささきさん自らそのお話を。
きゃ~、ネタばらしになる~、やめて~と一人叫んでいた私。(←勝手だ)
まあ、いいや。ちょっと書いておこう。
確かにアニメの歌詞なんて似たり寄ったりだ。今でこそ、とてもアニメの主題歌とは思えないおしゃれなもの(?)があるが、当時はやはり「地球を」や「守れ」「戦え!」といった歌詞が多かった。
だから「青い地球」なのか「緑の地球」なのかわからなくなる、というのも頷ける。
が、そこはプロ。わからなくなってもとにかく〝歌う〝のだ。
だから時々1番と2番が混じったり、♪らららーらら・・♪なんて事になるが・・・しかし詰まって歌えなくなったのを聞いた事はない。(客席にマイク・・は、たまーにあったな・・)
そのうちなんのつもりか、歌詞カードを持ってきて佐々木さんが歌っている真ん前で歌詞を確かめている人も出て来た。
ご本人には悪意はないのだろうが、「歌いにくいなあ」と笑いながら言う佐々木さん。
正直、失礼だと思ったのは私だけではなかったと思う。